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「ちえの輪倶楽部」は、音楽教育家・北村智恵を中心とした、ピアノ指導者サークルです。
音楽セミナーやイベント、コンサートを企画・運営、またピアノ指導者のネットワークづくりを行っています。

会員レポート

ムジカ工房主催「ショパンへの道」vol.8「ショパンのパリ」

2007年5月31日

今回で第8回となったちえ先生のレクチャーコンサート「ショパンへの道」は、生誕200年、2010年のアニバーサリーまでに全曲レクチャーコンサートを開こうと2003年12月から開始されています。毎回色々な観点からお話され、本当のショパンの音楽を知る、愉しみなコンサートです。 今回は『ショパンにとってのパリ』というテーマでした。自分でもショパンとパリに関する本を読み、ショパンが住んでいた頃のパリのことを調べてみました。王政復古、産業革命、バルザック、パリ・・・遠い世界のことばだったものが、ショパンという視点から見る事で、なんだか身近に感じられました。会場のエントランスには「産業革命」「革命の比較」「ショパンゆかりの地」などの掲示がされており、当時のパリの様子をとても興味深く拝見しました。

本当のショパンの音楽を知る 愉しみなコンサート
 18世紀後半、ポーランドの国力は衰え、1815年にはウィーン体制によりロシアに支配されます。1830年、フランスで七月革命が起こり、ポーランドにおいてもロシアの支配から独立しようと激しい独立運動が起き、国内は不安定な状態に陥りました。
 1830年11月、ショパンは二十歳の時、祖国ポーランドを離れウィーンへ行きますが、ここでも思うような音楽活動ができなくなり、8ヶ月の滞在の後パリへ行きます。パリにはポーランドからの亡命者が多く、ショパンも亡命者として、後世、音楽家として作品を残すことで、祖国ポーランドへの愛国心を貫こうと決意します。
 パリでは産業革命が本格化し、急速に大都市となり、また、王権制度が崩れ、自由と人権が確立されていきます。パリには活気が戻り、中産階級のお金持ち(ブルジョワジー)が力を持つようになり、その社交の場として「サロン」が増えました。親密な雰囲気の中で芸術や美術についての議論に花咲かせ、様々な人間関係を作る場として華々しく開かれていました。当時、オペラ音楽も流行っていましたが、サロンでは大ホールで轟くような音ではなく、繊細なピアノの音色で肩の凝らない、身近な場所で聴くサロン音楽が好んで演奏されました。
 ショパンは1832年2月26日プレイエルホールにてパリデビューします。音楽新聞で評価され、サロンへも誘われるようになります。この頃のピアノは今までのピアノとは違い、楽器としての機能がほぼ完成されており、特に彼は自分の音楽にふさわしい、華やかできらびやかな音色がする、高音部に金属のフレームが入ったプレイエルのピアノを好んで弾いていました。
 ショパンはサロンに合った音楽ノクターン、アンプロンプチュ、ワルツ、バラード、ファンタジーなどを作曲する反面、祖国ポーランドを愛するナショナリストとしてマズルカ、ポロネーズのキャラクターピースも作曲し続けます。
 パリは芸術と文化の中心地で、ショパンはリスト、シューマン、メンデルスゾーン、ベッリーニなどの音楽家以外にも、詩人のハイネ、画家のドラクロワ、作家のバルザック、そしてジョルジュ・サンドなど多くの芸術家と交流を持ちました。 ちえ先生は、「大きく変貌し、この新しい空気がみなぎるパリだからこそ、ショパンの音楽のピアニズムが受け入れられ、よい方向へ向かったといえるのではないでしょうか。」とお話なさいました。
 今回二度目のご出演となったゲストピアニストの岡本麻子さんの演奏は、先生のレクチャーの内容を裏付けてくれるように素晴しく、彼女の音の豊かさ、美しさにサロン音楽の様子が目に浮かびます。特に、最後に演奏されたベルスーズ 変ニ長調op.57は、「ショパンの右手はオペラのコロラトゥーラ、左手はチェロ」そのものを思わせるように美しく、本当に天使が舞い降りて、私達を癒してくれているような気持ちになりました。機会があれば、ぜひまた彼女の演奏を聴いてみたいと思いながら会場を後にしました。
(事務局 A.J.)




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