ちえの輪倶楽部に会員の皆さんから寄せられた「声」をご紹介します。
生き方を変えた出会い
生き方を変えてしまうような出会いの始まりは1996年。
その頃の私は主婦で、子育てをしながら町のピアノの先生として子供たちにピアノを教えていました。
ある日、ふと目に留まったピアノを教える人のための講座。
北村智恵という方がどんな先生でいらっしゃるのかも分からないまま、
初めて申し込んだピアノ講座でバンビ組の一年生になりました。
そこでの学びは共感、感動、恥ずかしさの連続でした。
先生の著書を読みながら自分に問いかけ、
心に刻んでおきたい箇所に赤線を引いていたら赤線だらけになってしまったことを覚えています。
その後、色々な事情でピアノから離れ、リハビリ病院の看護師として勤務することになったのですが、
それまでの学びが看護師としての働き方の指標となりました。
その人らしく生きるために、その人の人生に焦点を当て、諦めないで支援していく。
そのためには確かな知識と技術だけでなく、気づける感性を持ち、
その人を見くびらないで寄り添っていくことが大切という、まさにピアノの先生として学んだ智恵先生の言葉だったのです。
それから数年間は、ショパンピアノ作品全曲レクチャーコンサートの聴衆として音楽に触れ、
先生のお元気な姿と共にいつも笑顔で迎えてくださるご主人様に会えることを励みにしていました。
そして6年前突然お電話をいただき、5月開講のバッハの講座へ来てみない?とのお誘いを受けたのです。
智恵先生の愛のセンサーが、私の気持ちに反応したのでしょうか?
ピアノを教えていないからと消極的だった私に、つながりの糸を手繰り寄せてくださいました。
バッハの講座に続いてショパンマズルカ講座、今はノクターン全曲講座で学んでいます。
様々なお体の不調がありながらも、いつも全身全霊で音楽を通して生き方を伝えてくださいます。
これからも智恵先生からいただいたかけがえのない出会いを大切に育みながら生きていきたいと願っています。
(愛媛県賛助会員 Y.I.様)
会報72号≪ちえ先生とわたし≫より
道標
私がちえ先生に出会ったのは5年程前、福井のセミナーに参加した時でした。
その頃私は“ピアノの先生”になり4年目でしたが、
自分のレッスンにどこか物足りなさを感じ、自信が持てずにいました。
そんな時にちえ先生のセミナーに参加し、私が知りたかったのはこれだ!と、
モヤモヤしていたものが晴れたような、道標を見つけたような気持ちになり感動したのを覚えています。
それと同時に、自分の至らなさを痛感し反省しました。
それから連続セミナーとグループレッスンに参加させて頂くようになりましたが、
まずピアノを弾く手の形からご指導頂き、今まで信じてやって来た事が違っていた事にショックを受けました。
もっと早く知っていたらと思わずにはいられませんでしたが、幸運な事に私はちえ先生に出会い、
こうして学ぶ機会を頂けました。
それを無駄にせず、これからピアノを学んでいく私の生徒にも正しく伝えていきたい。
その為には私自身がもう一度基礎の基礎から学び直さなければと覚悟を決めて、
ピーターラビットの教本とピアノと向き合う事を決めました。
自分自身がしっかりと理解してからでないと生徒には伝えられないと思い、
中々ピーターラビットの教本をレッスンで使うことが出来ずにいましたが、
最近ようやくレッスンでも使い始めました。
今でもまだ理解しきれたとは言えませんが、レッスンで使う事で学ぶ事も沢山ありました。
分かっているつもりでも、生徒を前にどう伝えるのか?
私自身が生徒の音をはっきりと判断出来ているか?
全て浮き彫りになる様でまた足りない部分が見えてきました。
特に第1巻の最初の曲「ピーターのたいこ」はシンプルなだけに、
指導の仕方で生徒の今後のレッスンへの取り組み方、曲や音に対する意識が大きく変わってしまう為、
かける言葉ひとつひとつ慎重に選びながらレッスンしています。
そうやってレッスンしていく中で、生徒の柔軟な感性や自由で素直な表現に触れると
毎回新鮮な発見や感動がありとても嬉しく思います。
私はピアノが好きです。長年練習していても、中々思うようには弾けないけれど好きでした。
でもちえ先生に出会い、もう一度学び直してもっと好きになりました。
それはきっと、演奏する上で必要なテクニックとは何なのか、どうしたら出したい音が出せるのか、
ただがむしゃらに頑張るのでは無く、具体的に目指すべきもの、そのやり方が分かったからだと思います。
そして音や表現に対する意識も変わり、本当の楽しさを知ったからだと思います。
なのでその楽しさを生徒にも伝えられるよう、これからも一緒に学び成長していきたいと思っています。
(福井県賛助会員 M.K.様)
会報72号≪使っています!Chie’s Method≫より
